現存する最も偉大な作家の中で、その名を知られるマーガレット・アトウッド。未来がディストピア(暗黒世界)の同義語である彼女のサイエンスフィクション小説でしばしば賞を受けている。彼女は、未来を心に描きたい人々にとっての象徴とも言える年、1984年に『The Handmaid’s Tale(侍女の物語)』のインスピレーションを得た。『The Testaments(誓願)』はその世界的なベストセラーの続編である。齢80歳を過ぎたアトウッド氏はこれから何が起こるかを想像し続けているのだ。
「特定の未来はありません。可能な未来が数多く存在するだけです。私たちは良いものに向かって努力することを選ぶべきなのか、それとも悪いものへ向かって自分自身を放棄すべきなのでしょうか。人間の生命にとって暑すぎる惑星で茹って死ぬか、資源戦争で死ぬか、最後に残った淡水を巡って争うか、酸素を作る海を殺してしまったため窒息して喘ぐか、疫病について何も学ぶことができなかったため新しいパンデミックによって死ぬのか。そうでないとすれば、自然がそのバランスを取り戻すのを手助けするのでしょうか。もし後者を選択するなら、どうやって?有機質土壌を回復し、海底を再生し、砂漠化を終わらせ、プラスチックの無毒な代替品を作り、肉を他の食べ物に置き換え、私たちが利用できる空間や時間が無限であるかのように行動するのをやめますか。数カ国以上、数億人以上の億万長者の間でそれを価値あるものにすることができなければ、私たちは良い未来を手に入れることはできないでしょう。しかし、悪い未来には、お金が役に立たなくなるので、億万長者はもはや億万長者ではなくなるでしょう。せいぜい、億万長者はとるに足らない物となり、必然的に私たちにとってはそうはならないでしょう。 人類を一掃することに成功しましたが、微生物はまだ存在する可能性が高いです。最良の選択をしましょう!どちらの未来であれ、未来はあなたを頼りにしています」。
テレビ放送であれズームセッションであれ、ライブビデオの開始前の瞬間には常に少し身だしなみに気を使う。ドレスやジャケットを正す人もいれば、カメラの後ろにいる人にアドバイスを求めながら咳払いをする人もいる。WhatsAppを使用して電話をかける人もいれば、マーガレット・アトウッド氏の場合のように、湯気の立つお茶を飲んでリラックスする人もいる。白いマグカップが数秒間現れた後、トロントにいる彼女とローマにいる我々とライブで話し始める。カナダは昼で、イタリアは夜だ。
ミラノ、ポルデノーネ、またはロンドンで直接会うたびに、彼女がマスクを着用していたことは無い。アトウッド氏はまさに彼女の自身を表現している。紙の上に書かれた言葉のように、大きなこえて歯に衣着せぬ話し方をする、非常に明確な考えを持つ女性だ。彼女と話すとき、相手がカナダのフィクションと詩の分野において最も重要な代弁者の1人であり、ブッカー賞を2度、他の多くの賞および表彰を受けたことを忘れさせてくれる。彼女は日常生活においても同様で、公式Instagramのプロフィールを見ればそれがよく分かる。ある写真では彼女はスピーチをしており、別の写真では彼女は本を紹介している。それから次に、突然、彼女はパンを焼き、地元の新聞や地球を救うために戦い、妹が81歳の誕生日にプレゼントした『私を過小評価して。きっと楽しいわよ』という言葉の書かれたピンクのTシャツを着ているといった具合だ。実際、後者は彼女が常にやろうとしていることであり、彼女の典型的な皮肉によって完全に目的を達成している。
彼女の対談を注意深く精査すると、彼女は良い、好奇心旺盛な魔女のように見える(いつもの独特な服と帽子が一層その感を高めている)。興味をそそられることに出会った時、さらにその話題を掘り下げ、言い訳もなく、常にその事について知っていたかのように扱うのだ。「誰であろうと、目の前にいる人の話を聞いて尊重する、という教育を受けました。」と彼女は何年も前に、サンタ・マッダレーナ財団の広大な庭園での忘れえぬ散歩の中で語った。フィレンツェからそう遠くないレッジェッロにて作家および植物学者の特別会合が行われた時だ。そこには、アンドリュー・ショーン・グリア氏(財団の会長であり、数週間後、ピューリッツァー賞を受賞)、また2年前に亡くなったアトウッドの夫であるカナダの作家グレアム・ギブソン氏も出席していた。アトウッド氏はその後、『誓願』上梓に際しての発表のためにイギリスで国際ツアーを開始するところであった。これは、TVシリーズ化が世界的な成功を納めたことでヒットしたベストセラー『The Handmaid’s Tale(侍女の物語)』の続編だ。『アトウッド夫妻』は互いを非常に愛しく思っていた。一緒にいた時は、数秒間立ち止まって観察しするだけで互いへの思いを確認するには十分だったのだ。友人、親友、そして恋人たち。2人は冗談、笑い、多少の長い沈黙、散歩、そして言うまでもなく幾度となく淹れられたお茶によって創られた日常生活の主人公であったのだ。実際、我々を自宅へと招き、大きな本棚を背景に、研究を紹介してくれたときも、一杯すすっていた。たとえ別の理由であったとしても、今のように、辛い時期であった。しかし、彼女や他の人が言うように、前に進み、決してあきらめないことが重要なのだ。「